私はブルーピリオドで気持ちよくならない。これからもIT業界でご飯を食べるために

ブルーピリオドが好きじゃないです。

ブルーピリオドの名前は前から聞いていました。マンガ大賞受賞してるし。
あらすじを読んで、絶対私が好きじゃないやつだと思いました。たぶん、ブルーピリオドは流行るでしょう。もう流行ってるだろうけど、2021年9月25日にNetflixで先行独占配信が始まるので、もっと流行るでしょう。持ち上げられることでしょう。もう分かり切ったことです。
だから言いたかった。アニメが放送開始する前に、批判を投稿したかった。なので読みました。ブルーピリオド。6巻読み終わりました。(この漫画を読んでいる人なら分かりますが、ここで一つの物語の区切りがつきます)

思いました。ブルーピリオド、やっぱり好きじゃない。その気持ちを綴ります。

私がワナビーになるまで

私の話をします。私は現在、ほとんどプログラムを書いて生計を立てています。たぶん、業務内容にはプログラマとか、フロントエンドエンジニアという名前が付きますし、もし私が今転職活動をするとすれば、そのようなポジションを探すことになります。
なんでこんな回りくどい言い方をするかというと、私は自分のことを「プログラマワナビーだ」と思っているからです。あまり自信満々に自分のことを「プログラマである」と言えないからです。

ワナビーという単語は以下のような意味です(Wikipediaからコピペ)

ワナビー (wannabe) は、want to be(…になりたい)を短縮した英語の俗語で、何かに憧れ、それになりたがっている者のこと。上辺だけ対象になりきり本質を捉えていない者として、しばしば嘲笑的あるいは侮蔑的なニュアンスで使われる。

話は変わりますが、私はプログラマという職業を名乗りたくてIT業界に来ました。20歳のときのことです。
正直に言うと、私は自分にプログラミングの才能なんてものはないことは分かっていました。

私のパソコンとの出会いは小学4年生くらいの頃でした。根暗の小学生に自分のパソコンを渡すと、一度はプログラミングにあこがれることと思います。私もそうでした。私は当時パソコンで絵を描いていたので、自分のホームページを作ろうと思いました。色々なインターネットの記事を参考にHTMLとCSSを書き、ブラウザにHTMLファイルをドラッグアンドドロップし、コードを書き換えたらリロードしました。やがて無料のレンタルサーバに自分のスペースをつくり、FTPソフトを参考サイトの言う通りぽちぽちしてファイルをアップロードし、自分のホームページを作りました。この時の感動はひとしおでした。ですが、そのあとすぐに私はプログラミングなんてものをしていなかったことに気が付きます。
次に私はホームページに掲示板を付けようとしました。信じてもらえないかもしれませんが、2006年当時はまだ掲示板は現役でした。絵のコミュニティサイトでアクセス数の多い絵の上手い人の個人サイトには掲示板があって、そこにはイラストへの感想や、リクエスト募集があればリクエストが寄せられていました。私もこんな風に繋がりたい、あわよくば感想をもらいたい!と思いました。当時個人利用の掲示板で憧れの見た目を実現するには有料のレンタルサービスか、自作かという感じでした。当然自作をすることにしました。HTMLとCSSを書いた私なら出来ると思いました。それに掲示板を自作するってどう考えてもかっこいいですよね。
でも、無理でした。

PHP掲示板を作るのは、当時の私にはとても困難でした。何に躓いたかもよく覚えていませんが、とにかく無理で、私はプログラマではないんだな、世の中のプログラマというのは途方もないことを覚えて、理解しているんだなということを理解します。私はより一層、プログラマって凄いなと思いました。自分の理解できない深淵があることを認識した経験でした。

無理をするとつらい

紆余曲折と諸事情あり、20歳の私はプログラマと名乗る道を歩むことに決めました。
私は先述の経験から、自分が本物ではないし、本物にもなれないことを自覚していました。それでもプログラマを目指すことに決めたのです。そしてそれから5年ほど経ちました。冒頭で申し上げた通り、私はプログラマをまだ名乗れません。いつになったら名乗れるのかもよくわかりません。それは何故かというと、私が当初想像したより、プログラマは遠い存在だったからです。

5年ほどIT業界で勤めてきて、私はようやく「プログラマ」というものの輪郭が見えてきたように思えます。そして、私の目指すことにした「プログラマ」との距離感をより高い解像度で認識できるようになりました。それはあまりにも遠かった。

ブルーピリオドの1巻に「そして俺はやっぱりただの人だ 特別じゃない 天才にはなれない やった分しか上手くならない だったら天才と見分けがつかなくなるまでやればいい それだけだ」というモノローグがあります。私はこのモノローグが好きじゃありません。1巻のこのモノローグが肌に合わなかったので、この作品は私向けではないことを私は悟りました。

恥ずかしい話ですが、20歳の私には、「私は学歴も豊富な経験も無いけど、人一倍努力して、プログラマになるんだ」という野望がありました。でもこれは、プログラマというもの、または「生え抜きの強さ」をよく分かってなかったから思えたことだったなと思います。

生え抜きは、強いです。 バスケットボール選手に身長が必要なように、プログラマに論理的思考が必要です。そして、習慣や癖は思ったより理性で制御できないなということを私は最近実感します。
論理的思考が必要なら今からでも訓練すればいい、確かにそうです。絵がうまくなりたいなら絵を練習したらいい。もちろんです。でも考えてみて下さい、私が25歳から身に着けようとしている論理性・またはブルーピリオドの主人公が身に着けようとしている感性という刃を、幼少期から研いでいる人たちが世の中にはたくさんいるのです。その人たちと同じ土俵に立つのに、どのくらいの努力が必要でしょうか。そして、その努力を、年齢によって増加していく義務を負担しながら払えるでしょうか。かなり厳しいです。
だからブルーピリオドでも主人公が蕁麻疹出ながらも絵を描いたように、多少病的になる必要があります。私も野望を燃料にくべて、努力の炎を燃やした時期もありました。でも、無理してもそんなに成果は出なかったです。むしろ、ストレスでなにもかも手につかないのが現実でした。 無理をしても現実が伴わないと、非常につらい です。

だからこそ、ブルーピリオドの主人公は輝かしいです。たぶん、この作品が好きな人はこの主人公の努力馬鹿なところと、それで成果が出ているフィクションな展開が好きなんだと思います。カッケーってなるんだと思います。でも私は好きじゃない。努力のロケットエンジンで天才という衛星軌道までカッ飛ぼうとするのが、好きじゃないのです。 その構図がもう、好きじゃない。だからやっぱり、ブルーピリオドは好きじゃない。 凡人が、何かを生贄にロケットエンジンを搭載してカッ飛ぶのは、とてもつらい。

ロケットエンジンがなくても、好きだと石段が登れる

タラタラと「私はプログラマじゃないし、ロケットエンジンはついていない」というネガティブなことを書いてきましたが、実のところ私はそんなに絶望してません。もちろんプログラマとの間には距離があります。ですが、気持ちの問題としては、別に私はプログラマになるということに拘らなくてもいいのだと思っているのです。
これはプログラミングについて上達を諦めたということではなくて、趣味でもなく、欲望としてでもなく、仕事として向き合うという感覚です。仕事は、一日8時間週5日を何年も繰り返すものです。これについて、何かを生贄にするのは、あまりにも厳しい。
そして素直に言うと、私は今の仕事と職場が結構好きです。
ブルーピリオドの4巻に「俺いま 多分 脳みそが手についてる」というモノローグがあります。この感覚、ちょっと分かります。このような感覚になることが、幸運なことに、仕事で稀にあります。

ワナビーは、なにか燃料を燃やしてカッ飛ぶ必要があります。なりたいものの世界にたどり着くには、ロケットエンジンを搭載しないとそこまで行けないからです。でも私はカッ飛ぶための何かが足りませんでした。でも、好きだ、楽しいという気持ちがあれば、石段を一段一段登れるのです。
私も5年前から比べると、ずいぶん遠くまで来たように思います。ロケットエンジン搭載している人から見たら、大したことない距離かもしれません。でも一歩一歩歩いてはきました。その道のりを案外楽しんできましたし、これからも楽しみながら一歩一歩登っていき、働いてくぞという覚悟なのです。