「『弱キャラ友崎くん』が映し出す現代資本主義の袋小路」に対する現在袋小路マンによるクソデカ感情

note.com

 

この記事、興味深く読みました。ちなみに私は弱キャラ友崎くん」未視聴です。

 

上記の記事のなかで、特に以下の一節が興味深かったです。

彼女に言わせれば、人生は理不尽でも不平等でもなく、シンプルなルールを制することで勝ち抜くことができる「神ゲー」である。人生における大目標・中目標・小目標を設定し、小目標から順に、達成へ向けた地道な努力を重ねることでステップアップを図るという、いかにも「自己啓発」的な処世術を、日南は友崎に伝授する。このように彼女が「自己啓発」へ駆り立てられる背景には、人生を戦いに準える思考が控えている。

 この部分については、私自身が無自覚のうちに内面化していた価値観がうまいこと言語化されたなあと感じました。

ほかにも色々と非常に興味深かったのですが、この記事の中で以下の点に私は引っかかりました。

「別に俺は、『アタファミ』を何かのためにやってるわけじゃないぞ。みんなと仲良くなるためでも、人に褒められるためでもない」とこともなげに答える。「自分で強くなるって目標を決めたのに、達成できない方が嫌っていうか」と言う友崎は、「アタファミ」を競争の舞台とは考えていないのである。競争相手ありきの自助努力を自分との戦い(いわば「真の自助努力」)で撃つ構図は、新自由主義と野合する資本主義によって強いられた「自己啓発」を批判する道を拓く。

 

上記の論考は「自助努力と脱成長は両立するか」という見出しで展開されているのですが、「『競争相手ありきの自助努力(自己啓発)への批判』として『自分との戦い』は対立となるのか?」「自分との戦いを己に課すことは『脱成長』との両立なのか」という疑問が湧きました。

 

私の気持ちを述べますと「自分との戦いは、競争相手との戦いを内面化したに過ぎず、果てしなき自己啓発に囚われていることには変わりはないし、資本主義(といより自由競争)が大好きということに変わりはない」という思いです。

 

私が元記事を読み間違えていたら恐縮なのですが、私には「自分との戦いが、自助努力と脱成長の両立である」と言っているように見えましたし、それは違うと思いました。

 

私は論陣を張るということに不慣れですし、自分の考えが正しいと自信を持つことが出来ない性格ですので、「自分との戦いが、自助努力と脱成長の両立ではないと思う」という表明以上の主張の文章化を避けさせていただきます。

代わりといってはアレですが、以下に「終わりなき自己啓発に若干疲れている側」としての、私の最近の愚痴を綴らせていただきます。

 

最近の感情。私は徐々に狂っていっているのではという不安が解決できない件

最近の不安として「私は一人で静かに狂っていっているのでは?」というものがあります。

 

私はおおまかに以下のような価値観をもっています。(それに忠実であるとは言っていません)

  • 過去の自分より未来の自分は成長している必要がある
  • 自分のできることと、他者からの需要を見極めて、自分が発揮できる最大のバリューを発揮し続けることがこれすなわち人生であると感じている

 

そのため、私はできるだけ漫然と人生を送りたくないという気持ちがありますし、その対策のひとつとして定期的に自分の生活を振り返ってみたり(ただの「生きてて楽しかった日記」になっている部分があるのは認める)、自己啓発本を読んだりだとかして、なんとか「成長」したいなと日々を過ごしています。

ただ、最近「私は一人で静かに狂っていっているのでは?」という疑問を持ち、それを否定できないでいます。

それはなぜか。「負けていないと不安だから」「負け続けるのも不安なので成長を求めたが成長の定義に失敗した」という感じなのかなと思っています。

 

負けていないと不安

恥ずかしい話をします。

私は前の職場では、天狗になっていました。

これは私の自己認識の話でしかなく、実際当時の同僚にどう思われていたかは分かりませんが、私は前の職場では周りより優れていました。

それと同時に、私は「自分では納得のいく成長をしていないのに、周りよりは優れてしまっており、成長の軸が持てない」ということについて不安に思っていました。

 

当時の心境をTwitter

「はじまりの村でスライムを狩り続けているような感覚。もちろんスライムを狩り続けても経験値は入るし、レベルアップもできるんだろうけど、私はボスを倒しに行きたい」

というように綴ったことがあります。これは、当時私がどれだけ天狗になっていたかが分かりやすい文だと思います。

もちろん、本当に「はじまりの村でスライムを狩り続けるような労働」はあると思いますし、それは不幸なことだと思います。それはそれとして、私はボスを倒したことすらないのに「ボスを倒しに行きたい(私ならボスを倒せる)」と思っている自尊心の肥大を恥じています。

 

まあつまり、他者との競争しか軸のない自己啓発の奴隷は「負けていないと不安」なのです。

周りとの戦いに常に勝利し続けていると、不安なのです。

これは、己の中に軸を持たない人間が陥りがちな罠ではないかなと思います。

 

負け続けるのも不安なので成長を求めたが成長の定義に失敗した

前職で天狗になっていた私も、転職を機に自分がいかに雑魚であったかを思い知りました。

「論理的説明力」「コーディング力」「コミュニケーション能力」について、至らないところばかりであることを実感する毎日です。本当に天狗だった。

 

本当に天狗だったことを実感して、転職してから半年以上経過した訳なのですけども、正直「論理的説明力」「コーディング力」「コミュニケーション能力」について、私は今後どのようなステップを踏んで向上していけるのか、目指すべきゴールはどこなのか、確信できておりません。

 

それ系の本なり、記事なり、いろいろ読みました。タメになると思う情報ももちろんありますし、たぶんいろいろ影響されているのですけども、ある日「それら記事を鵜呑みにすることは、現実との対話を放棄しているのでは」という批判が己の中に発生しました。

結局のところ「その本の作者の定義した正解」「その記事の執筆者の定義した正解」でしかない訳で、その本の作者の現実と、私の現実は異なるわけです。

私は、それら情報と、現実で属するコミュニティからのフィードバックをもとに「現実を攻略するための正解」を私自身で捻りださなければならなかったのです。

トヨタ生産方式」のWikipediaには以下のように書いてあります。

 

トヨタ生産方式では、買ってきた機械類を何の工夫もせずにそのまま使うことは好ましいとはされていない。機械を買ってきて、そのまま組み合わせて使用しているだけの人は「カタログエンジニア」などと呼ばれる。買ってきた機械に人間の知恵を織り込み、カタログ通りに機械を使う他社に対して差をつけることが求められる。

 

これは思考のフレームワークにも言えることだと思っていて、「見聞きしてきた思考のフレームワークを、なんの工夫もせず自分の属するコミュニティに適用しようとすることは、現実との対話の放棄では」と思いました。

 

つまり、恥ずかし気もなく申し上げますと「狭いコミュニティで他者との競争に勝って天狗になったので次のフィールドに行ってみたら、他者にボコボコにされたし、この他者にはすぐに勝てそうにはないから、己との戦いに勝つことを目標にしようとしたが、己との戦いが現実社会での戦いに効果的かどうかの自信が持てず、成長の定義に失敗した」というのが現況です。

 

リフレイン:自分は一人で静かに狂っていっているのでは

上記のような流れで、私は「私は一人で静かに狂っていっているのでは?」という不安に苛まれています。

他者との競争に勝つことを自尊心とする愚かさも体感しているし、己との戦いはその先に「自分が考えた最強の自分」になった狂人が完成するのみなのではという思いがあり、ただただ不安のみが蓄積しています。

 

Twitterでこの話をしたところ、フォロワーに「心を許せる信頼できる友達とかパートナーとかそういう存在で解決するのでは。孤独が悪い」と言われ、まあそれはだいたいそうで「信頼できる多数のフィードバック」はこの不安を解決するんですけど、ではそれはどう得られるのか?というと、厳しい。

もうここまで文を書いていくので疲れてしまったので「どう信頼できる多数のフィードバックを得るか」みたいなことを考えていくの、厳しい。

来月以降の私が考えます。

 

脱線:「劇場版ARIA The CREPUSCOLO」で灯里が言ってたこと

『ARIA The CREPUSCOLO』公式サイト – TVアニメ放送開始15周年記念作品|2021 Spring

 

「劇場版ARIA The CREPUSCOLO」見てきました。

アテナさんマジセイレーンで最高だった。

 

これはちゃんと公式の動画が上がってるので本当にみんな見て。最高じゃない?

www.youtube.com

 

「劇場版ARIA The CREPUSCOLO」は本当に最高だったんだけど、それはそれとして、ラストで

 

アリス「私、いい後輩にならなきゃって思ってた」

アテナ「私も、いい先輩にならなきゃって思ってた」

灯里「でも、自分のことを大好きになるのが大事だったんだね」

藍華「恥ずかしい台詞禁止!」

 

みたいな掛け合いがあったんだけど、なんかこれってARIAのアニメ全編通した優しい世界を体感してから聞くと、めっちゃ深いし真髄な気がする。

「みんな別の世界で生きとる。成長云々いうとるのお前だけ」が現実なのかもしれない。知らんけど。

 

以上、「『弱キャラ友崎くん』が映し出す現代資本主義の袋小路」に対する現在袋小路マンによるクソデカ感情」でした。